風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第224段
40日間、日本滞在(その32)
郡上八幡(その2)
郡上八幡の駅に着きホームに降りると、山間の町の静かな駅に、驚いた。
郡上八幡の駅って、こんなに小さくて殺風景なのかと思った。
駅の出口に、観光用に街の地図が置いてあったので、勝手に1枚もらった。
それを見ながら、郡上八幡の城下町の方に歩きはじめた。
地図を見ながら、伯と2人で・・・。
歩いていると、通りの家の庭に「萩」の花が咲いていた。
健誠君と一緒に歩いた京都の南禅寺の「萩」は、まだ蕾であったことを思い出す。
奥美濃は、もう秋。
初めに「藍染」の店に入った。
入り口を入ると、右側に藍染の顔料が入った瓶が、幾つか床に埋められ、蓋がされていた。
現代とかけ離れた、素朴な風景であった。
奥に入ると、白い布に愛染がほどこされた「暖簾」「風呂敷」「鯉のぼり」などが掛けられていた。
白い木綿の生地に鮮やかな藍色で染められた清々しく見えるワンピースが掛けられていた。
伯が、これを見ていた。
そして、他を見、そして、またワンピースを見る。
私が、小さな声で、「ブラジルでも着れるよ。」といったら、「いらない」といわれてしまった。
センスのいい絵柄であったのに・・・。
他の「暖簾」など見たが、結局何も買わずじまいになってしまった。
少し歩いて「やなか水のこみち」に着いた。
ここには、美術館など「やなか三館」があるが、以前見た事があるので寄らずに、透きとおった水を見ながら、流れの横の椅子に座り、少し休憩した。
この旅行の目的は、「透き通った水」を見たいということであった。
博物館とか、寺院とかは、伯と来た「あの頃」に見ているから、見ないでもよいと思っていた。
静かに流れる「やなかの水」は、太陽の光にキラキラと輝き揺れながら、まるで、踊りながら流れているようであった。
「キラキラキラ・・・チョロチョロチョロ・・・」と。
腰をあげ、歩きはじめた。
そして、歩きはじめた方向には「いがわの小路」がある。
郡上八幡旧庁舎記念館を通り過ぎると、眼の前に小路が現れる。
小路は、水路伝いに作られている。
「いがわの小路」の水路には、大きな緋鯉や真鯉が泳いでいる。
綺麗な、冷たい水である。
こんなに綺麗な水に、1年中住むことが出来る鯉たちは、幸せ者である。
動物好きの伯は、鯉と遊びはじめていた。
鯉のくち先に指を近づけると、パクパク、ズウズウと口を開け、鯉が寄ってきた。
有料の餌箱が設けられていて、以前はこの箱から餌を買い、鯉に食べさせたが、今回は、餌箱はあってもその中には、餌は入っていなかった。
もし入っていたなら、伯は、餌を鯉にやることができたのに・・・。
高浜のアパートでおふくろと私と伯の3人で生活していた頃、アパートの前を真白な猫が毎日歩いていて、それを見つけた伯は、その翌日から、ウオーキングの前に、何かと猫が食べることが出来るものを、道沿いの垣根の、下におくようになった。
猫はそれを見つけ、食べるようになった。
また、東浦の於大公園の横にある「乾坤院」にある池には、鯉や亀が沢山いて、余りものの食べ物を持って行っては、池に投げていた。
だから、この小路でも餌があれば、必ずやっていたと思う。
指を出し、鯉がパクパクするのを楽しんでいた。
本当に綺麗な水である。
靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、入ってやろうかと思ったが、観光客がいる手前、止めにした。
伯は、かなりの時間、鯉と遊んでいた。
私は、2度も小路を往復できた。
鯉との戯れが終わり、また、旧庁舎記念館の目を通り「吉田川」の橋に出た。
この橋は、飛び込みで有名な「新橋」である。
もう、秋ということで、ここから勇敢に飛び込む若者はいない。
橋の上から、川面を覗き込むと、足がすくんだ。
爺さん、年をとったものだ。
浜ッ子であった頃なら絶対にやってやる・・・と思ったに違いない。
川辺に下りて川づたいに歩いた。
伯は、岩場でも軽快に歩いていたが、わたしゃあ、ついていくのに精いっぱいなんです。
やっとのことで、道に戻る場所があり、その階段を登った。
やれやれであった。
階段を登った処に、「あの頃」にはなかった手造りのアクセサリーの店が出来ていて、そこに入った。
伯は、丹念に見て回っていた。
「このネックレスがいい。」と、1つ買った。
藍染のワンピースより、こちらの方が、お気に入りのようであった。
ブラジルの女性は、小さな子供でも、ピアスを付けているくらいだから、ごもっともであった。
昼食時になり、このアクセサリーの店で聞いた、美味しい食べ物の店に行った。
順番待ちの人がいっぱいで、店に入り切れずに、店の外で、順番を待っていた。
こんなに人が待っている。
私は、このように順番待ちが嫌いな方であるが、今回は待つことにした。
待ったかいがあった。
本当に美味しい「和蕎麦」であった。
日本に来てから食べた美味しい物で「お好み焼き」があった。
あの「お好み焼き」と同じに、忘れられない味になりそうだ。
えっ?「お好み焼き?何時、何処で、誰と?。」
伯も、美味しかったと言っていた。
「和蕎麦」は善光寺で食べ、こんなに美味しい「和蕎麦」は、善光寺で終わりと思っていたが、また食べることができた。
食べ終わると、「何処から来られたの?」と、店の方が訪ねてきたので、「ブラジルからです。」と、答えた。
「神島」でも聞かれた同じ質問。
私は、日本人に見えなくなっているのだろうか?
でも、もう、そう見られても、いっこうに構わない。
そんな、気持になっている。
「宗祇水」に行った。
人が多く、ゆったりと、水の感触を味わうことが出来なかった。
「宗祇水」を離れ、「宗祇水」の横を流れる川辺の階段に伯と座った。
さあ、脱げ!
素足になり、川に素足を投げ出した。
「冷たい!」
山の水。
この感触を確かめに、ここに来たのだ!
足が凍っていくような・・・。
透きとおった流れる水に、足がゆらゆら揺れて見える。
「知多の海」「三河の海」「神島の海」。
それよりも冷たかった。
来て良かった。
伯と2人で来た「あの頃」の想い出・・・。
この冷たさ。
また、味わうことができた。
湧き水は 何処かしこなく 集まりて
いま我が足に 冷たく流る
清流の鯉と戯れる。
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