風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第216段

40日間、日本滞在(その24)

 神島(その2)

 伊良湖岬から15分くらいで「神島」に着く。

 定期船の客は、10人ほどで、伯と私は、客室に入らずに、船の後方部にある甲板で廻りに取り付けられた長椅子に腰を掛けた。

だんだんとスピードをあげ、定期船は沖に出た。

 海は、キラキラと太陽を映し、しかも穏やかであった。

 定期船は、水しぶきをあげ、全速力で海面を滑った。

私の顔や腕に潮が時々かかった。

 冷たく、心地よい潮のしぶきであった。

 「神島」に近づくと、漁の船や釣り人の船が沢山、漁場に集まっていた。

 澄んだ海、きっと、沢山の魚がいるのであろう。

 

 船着場に着くと、そこには、「三島由紀夫」と「潮騒」を紹介する大きなパネルが設置してあった。

 ここが「潮騒」で有名な「神島」であることを強調していた。

 船着場の横には、船揚場がある。

ここは、新治がはじめて初江と顔を合わせた場所である。

まだ、初江を何処の誰とも知らない。

名前も知らない。

 が、初江の美しさに恋心を抱いた場所である。

 船着場に面した道路から、路地に入った。

 一緒に定期船に乗っていた、5人の人も私たちと同じように路地に入った。

 「神島」を尋ねるために、今から島を1周する。

 露地に入るとすぐに、露地の右手に「時計台跡」がある。

もう、時を刻んではいない。

 私の背丈より少し高い「時計台」である。

 時を刻まなくなってしまったのは、「神島」が「昔のままの姿です。」と、言っているのかな?

 「時計台跡」の向こうには、「洗濯場跡」が見える。

 母ちゃんたちが集まり、洗濯をしながらおしゃべりをした処である。

 今でも、澄んだ水が山から湧き出て流れている。

 そして、露地の左手には、「三島由紀夫」が1ヶ月もの間、この島に滞在して「潮騒」を書いた、漁業長の家がある。

 「三島由紀夫」の部屋は2階。

 でも、窓は木戸が閉められ、ひっそりとしていた。

 あの窓から、伊良湖水道の漁船を眺めたことであろう。

 

 この島は、山である。

 はやばやと、登りの階段である。

 階段を上っていたら、地元の婦人に「こんにちは、いらっしゃい。」と優しい言葉をかけてもらった。

 私も、「こんにちは。」とだけ挨拶をした。

 入り組んだ路地の向こうから、新治と初江が孫の手を引き、ひょっこりと表われても不思議ではない。

 そんな露地の曲がり角である。

 昔から建っている建物に囲まれた露地の風景で、きっと、何10年も同じ風景のままに違いない。

 路地を通り抜けると、とてつもなく高いところまで続いている石造りの階段の前に立った。

 200段の階段である。

 「さあ、登ろうではないか・・・。」

 爺さんは、登りはじめた。

 ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・。

 しかし、息が切れる・・・。

 200段の階段を登り切るのに、2回も石段に腰を掛け、休憩をした。

 1分ほどの休憩であったが、石段に座ると眼下に伊良湖水道が見え、遠くには東北に伊良湖岬、北に知多半島、西北には伊勢あたりが見えた。

 ところが、若い新治は、この階段を足早に一気に登り、登り切った処に祀られている「八代神社」にお参りしている。

 「どうか、漁が豊かでありますように・・・。」

 ついでに、「船揚場であった乙女のような女性と結ばれますように・・・。」と。

 私は、「健康で、今の幸せが続きますよう・・・。」と。

 「八代神社」を過ぎると今度は、コンクリートで固められ、道の真ん中に水路が設けてある急坂である。

 さすがにきつい。

 といっても、休憩する場所なんてない。

 ここでも、ゆっくりと、ゆっくりと登った。

 登り切ると、視界が広まり、心がほっとし、和んだ。

 道は、平坦になったが、道の左手は、断崖である。

 樹々に覆われ、断崖に見えない。

 気を付けて歩かないと、落ちてしまう。

 淡紫の「スズラン」が咲き、私の前を歩いていた女性が、「スズラン」の写真を撮りはじめた。

 落ちないようにね・・・。

 可憐な「スズラン」は、見晴らしの良いこの断崖から、遠くの伊良湖岬を見ているのだ。

 ゆらゆらと、風に揺れ、「私はここよ。」と清らな音を奏でつつ・・・。

 「スズラン」は、「神島灯台」まで、涼しげに断続的に咲いていた。

 

 「神島灯台」に着くと、今迄登ってきた疲れを癒すかのように、太平洋が眼の前に広がる。

 地平線の彼方、数隻の貨物線であろう。

 ゆうゆうと、航海していた。

 潮風が、高い灯台まで登ってきて、潮の香が浜っ子の私には、たまらなかった。

 

 灯台を出発すると、またまた、上り坂である。

 丸太で土留めがしてある階段を登る。

 よいこら、よいこら・・・。

 階段の横では、「アザミ」が咲いていた。

また、名をしらぬ淡紅色の「カスミソウ」に似た花も咲いていた。

 私は、その花を、初めて見た。

 「カスミソウ」は、春の花だから、「カスミソウ」とは思われない。

 「監的哨跡」に着く。

 「潮騒」のクライマックスの場所である。

 新治と初江が火を挟み、向かい合った場所。そして、火を飛び越した場所。

 30センチくらいの矩形で、深さはさほど深くはない。

 そんな、焚き火用の穴が作られていた。

 嵐の日、ここで焚き火をし、2人は衣服を乾かした。

 2人が焚き火をした場所の横に立ってみた。

 私の短い脚でも飛び越えることはできる。

 しかし、それは足の長さの問題ではない。

 美しい乙女が、生まれたままの姿で「飛び越して来い。」と叫んだら、私は、この燃えたぎる火を飛び越すことができただろうか・・・。

 「監的哨跡」は、廃墟となった建物だけが残っているだけで、樹々達が、そっと「監的哨」を守っていた。

 それは、新治と初江のロマンスがいつまでも消えないように、樹々達が「監的哨」をしっかりと、包んでいるように思えた。

 まだまだ、登りであった。

 木立に囲まれていても、汗かきの私は、汗まみれになった。

 登ったり、下ったりしながら、歩いていたので、何処が新治の山の頂上かわからないまま、下りになっていた。

 どんどん下っていくと、左手に「カルスト地形」のある浜に出た。

 ここは、伊良湖岬や知多半島からは島の裏側になり、見えない場所で、こんな岩場が「神島」にあるとは、思っていなかった。

 そして、「カルスト地形」の下には、小さな砂浜があり、崖の上の道からでも海水が透きとおった色をしているのがわかる。

 右手に、学校の校舎を見ながら、細道を歩く。

 ここは、平坦である。

 暫く歩くと、また、砂浜に出た。

 先ほどあるいてきた「カルスト地形」の下の砂浜より、広くて長い砂浜である。

 えっ?

 砂浜が2つある?

 「潮騒」の舞台になっている浜はどちらなの?

 この理由は、後で・・・。

 砂浜に下り、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ棄て、

 ジーパンの裾を巻くし上げた。

 知多半島の「山海海岸」、蒲郡の「竹島」同様、海に入った。

 伯と私だけで、この砂浜には、他に誰もいなかった。

 「おー、気持がいい。」など、大きな声を出しながら、少し深い方に行ってみた。

 ジーパンは、膝まで海水に浸かっていた。

 さすがに島である。

 波の力は強く、波が引く時には、足の裏の砂が引き潮と一緒に流れていき、足をすくわれそうになった。

 遠く、伊勢志摩のあたりがくっきりと見えた。

 水から上がり、砂浜に座った。

 伯に「潮騒」の話しをした。

 この浜辺でのことを・・・。

 (先ほど書いたが、「神島」に2つの砂浜があるとは知らなかった。

 今から書く砂浜がどちらの砂浜かは、私には、特定できない。

 いま、伯と座っている砂浜として書きます)

 この砂浜での出来事は、新治と初江は「監的哨跡」で嵐の日に落ち合ったその帰りに、灯台長の娘に帰り姿を見られてしまい、2人の事を、知人に話され、島中の噂になってしまった。

 けれども、この浜で、海女達が漁を終え、暖をとっていた時のこと。

海女達の中の年配の海女が、初江の乳房を見て、「この女子(おなご)は、まだ男をしっとらん。」と、初江が、まだ清らかな乙女の体であることを、皆の前で証明した砂浜である。

 また、新治がこの浜で、美しい「さくら貝」を見つけ、初江にプレゼントしようと思いついた砂浜である。

 そんな砂浜だと、伯に話した。

 話しているうちに、水遊びをした足は乾き、足に付いていた砂は、手で払うと、さらさらと足から離れた。

 靴を履き、立ちあがり、砂浜を歩きはじめた。

 何処かに「さくら貝」がないかなあ・・・。

 下を向きながら、砂浜を歩いた。

 「さくら貝」どころか、貝殻1枚落ちていない。

 ところが、大きさが長径3センチ、短径2センチくらいの潮で洗われ角が取れた薄い白っぽい石が眼に留まった。

 拾い上げてみると、茶色と黒の鉛筆で書いたような模様があった。

 良くみると、「犬と猿」に見えた。

 伯に、「犬と猿」に見えないかと見せたら、「そうね・・・。」なんて、気のない返事。

 私は戌年、伯は猿年。

 でも、「犬猿の仲」ではい。

 なんで、この場で、こんな石が・・・。

 運命なんだな・・・と、思った。

 「この石、伯にあげるよ。」

 「ああ、いいから大事にしまっておいて・・・。」

 プレゼントなのに、そっけない。

 わたしは、「犬と猿」の絵のある白っぽい石を、私のリュックサックにほうり込んだ。

 砂浜を出て、また歩きはじめた。

樹々に囲まれた細道を登ったり、下ったりし、出発点の船着場に戻った。

 ここでも、他の観光客は、すでに前を歩いていて、私がしんがりであった。

 古希の旅行の鬼押し出しといい、何時もしんがりである。

 船着場の隣にある食堂兼お土産店で遅い昼食を食べた。

 「シラス丼定食」を注文した。

 蒲郡の「ラグーナ」でも「シラス丼」を食べたが、ここは「神島」、メニューの種類が少ない。

 「シラス丼定食」くらいしかなかった。

 食べてみると、「シラス丼」はシラスがとてもおいしかった。

 何処が違うかわからなかったが・・・。

 お腹もすいていたかもしれない。

 ところが、定食に付いた「昆布巻き」がとても美味しかった。

 みやげで売っているとのことで、明日、これを買って帰ろうと思った。

 土産物店といっても、売っているものは、手作りの手芸品などで、アイテムは少ない。

 漁師の島ということで、「干物」を買って帰ろうと思ったが、「干物」は売ってはいなかった。

 まだ、昼の2時であった。

 宿には、3時にチェックインと予約してあったが、宿に入った。

 3時からお風呂に入れるとのことで、テレビをみながらくつろいだ。

 3時になり、風呂に行くと、すでに他の客が数人、入浴していた。

 風呂から、伊良湖水道が見えたが、ゆっくり風呂に入っている雰囲気ではなかった。

 早々と部屋に戻り、テレビを見ながら、寝入ってしまった。

       暖をとる 乙女の乳房 品定め

             まだ生娘と 噂を否定

神島の路地。

新治と初江が孫を連れて、ひょっこり出てきそうな・・・・。

写真左手の2階建ての窓に手すりのある部屋が、三島由紀夫が滞在した部屋です。

200段の階段を上る。

ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・。

知多、三河、渥美からは見えない、太平洋側の「カルスト地形」

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