風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第210段

40日間、日本滞在(その18)

 古希の旅行(その5)

 鬼押出し園

 2日目は、朝、ホテルの前で全員で記念写真。

 そして、「鬼押出し園」へ。

 入園し、すぐに、「浅間山」を背景に記念写真。

 園から見える「浅間山」は、紺碧の空に届かんとばかり聳え、雄大であった。

 広々とした園からは、眼下に遠くまで樹林が広がっていた。

 その中に小さく、昨晩1泊した、赤い屋根で白い壁のホテルが、ぽつんと小さく見えた。

 ホテルから、かなりのぼってきたことがわかる。

 記念写真を撮り、いざ、「観音堂」まで登り坂。

 私は、先頭で歩きはじめた。

 溶岩が風化しできた奇勝の続く坂道をどんどん登って行った。

 何処まで行っても、奇岩続きであった。

 「よいしょ。よいしょ」と登って行く。

 相当きつい。

 あとから登ってきた友が次々と私を追い抜いていった。

 皆、元気。

 「観音堂」に着く頃には、私はしんがりに近いところまで、遅れてしまった。

 体力が落ちているのか、結構、きつかった。

 日本に来る前に、ブラジルで心臓のエコーを撮影したが、全く異常がなく、正常のお墨付きをもらっている。

 「お歳です。」といっても、皆同年・・・。

 

 懐かしい、若き頃。

 私は、中学時代、バスケットクラブに入っていた。

 背が伸びると言われ、入部したのだが、我1人だけ、背は伸びなかった。

 というより、小学校では、朝礼の時、「前にならえ」の号令の時、腕を腰に持って行く係が多かった。

 簡単に言うと、クラスで1番、背が低かったのだ。

 もともと、小さかったのだから、大きくなった方かもしれない。

 バスケットは、背が小さいのでゴール下まで行っても、ボールを叩かれるだけ。

 だから、ゴールから遠い場所からの、ミドルシュートの練習ばかりした。

 3年生、私がキャップテン。

 西三河大会で、4位。

 もう1試合勝てば県大会に行けたのに・・・。

 また、ハンドボールでは、3年生の中から選抜で選ばれ、西三河大会で優勝。

 バスケットは、高浜中学では、まだいまでも西三河大会での記録を残していると思っている。

 また、高校に入り、2年の時の「体力検定」では、「2級」を取っている。

100メートル走、1,500百メートル走、走り幅跳びは1級。

 1,500百メートルでは、トップで走り抜けた。

 懸垂、ボール投げが2級であった。

 1級は、防衛大学に行った、サッカー部のキャップテンの仲野君1人だけ。

 2級は、校内で10人もいなかった。

 この頃が、爺さんが1番、輝いていた頃である。

 「ちんちくりんスポーツ少年」であった。

 ただ、「知能明晰検定」なんてあったのなら、爺さんは最下級の5級か、それとも、級外の判定不能であったであろう。

 そんな爺さん、体力が落ちているのか・・・。

 皆さんより遅い。

 あの頃、「還暦記念」で行った、「長崎、オランダ坂」を登った時も、同じようにしんがりを務めることになってしまっていたのだった。

息切れがあるけど、心臓は大丈夫。

皆さんより遅れるのは、心臓のせいでなく、「足」のせいにしておこう。

「観音堂」でお参りし、帰り道。

下り坂は、心地よい。

碧い空、秋風の中、友と語らい、下りることができた。

  

        見上げれば 浅間の山は おとなしく  

              荒ぶれ山の 面影何処に

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