風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第115段

正月

 正月。 

 その前に、年の暮れの街の様子を書いておこう。

 街中には、新しい年を迎える準備は、何処にもない。

 新しい年を迎える準備は、ブラジルの人にとっては、人々の心の中だけに、新しい年が来るための準備があるだけのようである。

 街中には、もう終わってしまったクリスマスのツリーや、大きなサンタの人形が、まだあちこちに飾られている。

 松飾りや、しめ縄はない。

 正月を迎える準備は、人々の心の中だけで、街の中の飾りとしては、何もない。

 年越しのパーティーに出かけたが、いつものパーティーと何も変わらずに進んでいった。

 大晦日もクリスマスと同じようにパーティーのダブルヘッダーであった。

 爺さん頑張った。

 いつものパーティーと変わったことがない中で、感激したことがあった。

 パーティーの場所は、サンパウロにあるジンタのお父さんの家。

 あと5分くらいで新年である。

 パーティーに参加した沢山の親戚がみんな屋上に上がり、あれやこれや、そわそわ、準備。

 新年である。

 大きな音を残し、花火が上がった。

 空いっぱいに広がる花火だった。

 そして屋上では、歓喜の中、シャンパンが開けられ、カップに注がれ乾杯。

そして、「フェリザ ノ *?$%#(あけまして おめでとう)。」と言い合いながら、ハグをする。

お年寄りから、小さい子供まで、同じ空気の中、笑顔で新年を迎えた。

私は、素晴らしく思えた。

感激で少し涙ぐんだ。

そして、みんなで花火を見た。

伯と手を握り合い、打ち上げられる花火を見た。

暗い天空に広がる花火、心地よい音を残して消えていく。

伯と一緒に日本で見た夏の花火の、現れては消えていった花火・・・。

ブラジルでも見ることが出来た・・・。

懐かしさが込み上げてきた。

「・・・・・・・・」

「爺さんよ!初詣、除夜の鐘、そんなのねえよ! いいんかい?」

「爺さんよ!御神酒さんも甘酒もねえよ!いいんかい?」

「ええ、いいんです、大きな地球、その隅々に人は生きてる、何が違うか、違っていても心は同じ、このブラジルで生きている姿、

みんな一緒に、絆を深めて・・・・。」

 

 ブラジルの正月、朝、おせちはない。

 あるのは、お雑煮。

 マチダ家の正月の朝である。

 伯と私が日本から持ってきた餅つき機でついた餅の入った「お雑煮」をいただいた。

 それ以外にお正月のための特別な食べ物はない。

 私が小さかった頃のあまり御馳走がなかったお正月の食べ物のように思えた。

 おふくろが作ってくれたお雑煮とは味が違う。

 しかし、味など、そんなのどうでもよい。

 幼い頃、正月には、お雑煮を食べた想い出と言う懐かしい「想い出味」が口いっぱいに広がった。

 綿入れの袢纏を着て、箸を持ちお雑煮を食べる、幼い頃の爺さんの姿・・・。

 この歳になり、幼い頃のお正月を思い出させてくれた


      この広い 地球をめぐる 正月は

               幾億人の 心新たに

 ※ポルトガル語で、「あけまして おめでとう」を何と言うのかまだ、憶えていません・・・。

 そのため、本文中は、「フェリザ ノ *?$%#(あけまして おめでとう)。」になってしまい

正月だが、おせちはない。

マチダ家は、雑煮がある。

とてもおいしい。

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