風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第72段
もう、終わりにしよう
兄が逝ってしまった。
草とりをしていても、寝床に入っても、泪が溢れた。
泪が溢れたといっても、複雑な気持ちであった。
この兄と私は、永い間、お互いの存在の前に、厚い氷壁を作っていた。
私は、兄の考え方、生き方を私の中に入れようとしなかった。
それは、何処かの国と何処かの国が、お互いに自国の正当性を主張して、平行線を作っていると同じようなことであった。
兄と私が、どちらの国とかは、問題ではない。
お互いが、正しいと思っているだけで、交わることをしていなかったと思っている。
話をするのも、鬱陶しいと思っていた。
私がブラジルに行くことも、連絡はしていない。
なぜ、そうなってしまったかは書かない。
書く必要がない。
忘れようとしている、いやな想い出を思い起こし、書き綴る必要はない。
不幸なことは、忘れてしまおう。
終りにしよう。
ブラジルの熱い太陽の炎で、その凍りついた氷壁を熔かしてしまえ。
兄よ!おやじ、おふくろのもとに行け!
朝、「おはよう、元気か」を言い合おう。
そしてまた、風になり、あなたが生きた多くの人達を渡り、語り続けてくれ!
昔、あなたが私に話してくれた想い出を書き留めておこう。
私には、記憶のない、まだ、生まれて間もない、きっと私が2歳にもなっていない頃の事と思う。
兄は、野球好きであった。
兄は、私より10歳年上であるから、兄が12歳、私が2歳くらいか、もっと小さかったかも知れない。
私をおぶって、野球をしたらしい。
戦後間もない頃のことで、どんなバットか、どんなボールかは判らない。
竹を切っただけ、布を丸めただけの道具であったかも知れない。
兄は打ったのである。
走ったのである。
そして、1塁で滑り込んだのである。
その背中に、私がいたのである。
そんな事を、兄は話していた。
その時の私は、どんなであったのか?
兄の背中で、眠っていたのか、怖がっていたのか、それとも、滑り込んだ時に、頭を強打して意識が無くなっていたのか?
びっくりして、オシッコを漏らしていたかも・・・。
いや違う。
私も野球が好きである。
きっと、一緒にプレーをしていたはずだ。
「セーフ、セーフ、今の絶対、セーフ」と兄の背中で叫んでいたはずだ。
兄との、1番、体を寄り添いながらした、たわいのない、そして記憶にない、想い出である。
大切にしておこう。
書き綴っていても、泪が湧いてくる。
おかしなものだ・・・。
幼きは 君の背中の 想い出は
暖かくもあり、寂しくもあり
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