風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第1段
まえがき
「つれづれなるままに、日暮し・・・」といにしえ人は、すらすらと、心のおもむくまま、書き綴ったという。
私も書き綴ってみようか・・・。
とは言っても、きっと、いにしえ人のようにうまくはいかないと思う。
それでも、生まれて初めて、自分が生きる、また、生きた記録として、ゆらり、ゆらりと、心のおもむくまま、書いてみようと思うに至った。
どこまで続くことやら判らず。
今、私は67歳、第2の故郷として、赤い土の国、ブラジルに移住をし、もう1ヶ月が過ぎた
心のおもむくままに、書き綴ってみようと思ったのは、この国に移住する直前に、鎌倉に住む兄から手紙をもらった。
その中に、兄は私との別れに短歌を2首、私に送ってくれた。
日本を離れる日、ブラジルでの住所と、兄へお返しの短歌を1首詠んで、関西国際空港のポストに投函した。
ブラジルに着き、2週間が過ぎた時に、兄から手紙が届いた。
その手紙は、私がブラジルで受け取った、初めての手紙であった。
「数日に1首でも短歌を詠むと、数年でかなりの数になるから、それをパソコンでまとめたら・・・。」とあった。
兄は、昔から俳句、短歌を愛し、詠んでいたので、勝手が判っていると思う。
私は即席で、しかも、たまたま詠んだだけで、兄のように詠めるわけがない。
どのようにすると良いのか、いろいろ考えた。
自分の生きた足跡、感じたことなどを、詠みながら「つれづれなる・・」の心で、私の人生を書くことに決めた。
本当に、詠めるのか?
不安の「かたまり」である。
「人に、自分が生きてきた過去と、今の生き方を知らせる。」とは今までは全く考えたことはなかった。
私にとっては、考え方の大転換である。
せっかく書くのだから、人に読んで欲しいという気持ちも、湧いてきている。
ただ、何も知らない、見知らぬ国でのことなので、少々間違っているところがあるかもしれない。
私は35歳の頃、当時勤めていた会社の社長の代理で、3泊4日の海外旅行をしたことがある。
海外旅行はそれだけである。
海外の事は何も知らない。
そんな田舎者の私であるから、私が書くことの中には、世界では常識になっているということもあるであろう。
少々、陳腐な内容になる場面があると思う。
ご容赦のほど。
書き始めよう。
私は今年で、67歳になった。
定年退職して2年が過ぎている。
もう世間では、用無しの人間である。
年金暮らしの老人で、バツイチである。
バツ一の理由は、今までも誰にも話したことはない。
ただ、兄妹と他に3人だけにはバツ一になったとだけを言ったことはあるが、誰にも理由は話していない。
涙にならない、話にもしたくない、ましてや文章にもしたくない悲しみもある。
生涯、話さない。
ここにも、書かない。
新しい妻は、私より22歳年下の日系3世ブラジル人です。
妻と、呼ぶのはここだけで、あとは女房と呼びます。
これをここで書くのは、後が判りやすくなると思うから。
遠くある 異郷の暮らし 思い馳せ
妻を手伝い 荷造り始む
いつまでも 知らせておくれ 風たちよ
なつかしき人の 健やかなるを
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