風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第448段
ウォーキングを続けよう
ウォーキングを続けようと思っている。
早朝の白餅作りで、火曜日と金曜日にしかできなってしまった。
でも、それくらいの方がいいのかもしれない。
一生懸命、歩いてはいる。
スタート時には、他の人と同時に歩き始めるが、いつも、シンガリになり、1周400メートルくらいの駐車場を周回している間に、3周目、4周目となると、先頭集団に追いつかれ、1周遅れ、また、2周遅れとなってしまう。
ウォーキングの時間は、45分くらいである。
1週間に2日だけであるが、歩くことが出来ることへの喜びがある。
私が50歳の時、勤めていたプラスチック自動車部品製造の工場で、新しい工場が出来、2週間ほどかけ、成形機などの引っ越しをした。
中空成形機(ブロー成形機)の新しい工場で、私は、その工場を任されていた。
機械の移動が終わり、機械メーカーが成形機の調整に入り、それも、すんなり終了することが出来、新しい工場の稼働が始まった。
いざ、成形機を稼働させると、成形条件を微調整しなくてはならないことが判った。
夕方、7時を回っていたころ、成形機の状態をMAXに良くしようと、成形機に張り付き、微調整をしていた。
成形機は、架台の上に本体が乗っていて、本体が、前後に移動し、成形を完了させるタイプであった。
その成形機の架台の中に足を入れると、移動してくる本体との間に挟まれ、危険ということは判っていたが、急ぎ微調整をしようとし、架台と本体の両方の梁のあいだに左足を入れてしまい、梁に挟まれてしまった。
梁は、太さ20センチほどの鉄の角パイプで作られていた。
“い た い!!!!!!”と叫び、近くの従業員に緊急ボタンを押してもらい、成形機を停止させてもらった。
梁に挟まれている間、気が遠くなるのを必死でこらえ、大声だけを出していた。
ほんの1分もかかってはいない。
緊急停止・・・・そのまま、病院・・・・・・3週間ほどのマツバ杖生活。
でも、それは、ある意味では、幸運であったのです。
成形機の本体部分の動力源が、1メートルくらいの長さのエアーシリンダーであったからです。
もし、これが、油圧であったなら、私の左足は、骨を砕かれ、潰れていたかもしれません。
生涯、車いすのお世話まではいかないにしても、マツバ杖のお世話になっていたであろう。
エアーシリンダーであったから幸運だったんです。
今でも、寒い時は、少し痛みが来る。
歩くに、少しだけ、左右の足の運びが違っている。
ほんの少しで、見た目はわからないほどだか、左足を出し、踏ん張る時は、少しだけ、体か左に傾く。
日本にいた頃、私が子供の頃によく遊んだ川(稗田川)の堤を朝、まだ太陽が昇る前に、出発し、伯と2人でウォーキングをしていた。
伯は、私の足を気遣いながら、私の歩くテンポにあわせ、一緒に歩いてくれた。
堤の桜を見、桑の実を捥いで食べながら、真っ赤な曼珠沙華を見、紅葉を楽しみながら・・・・・・・
そして、川の上流から顔を出す太陽のすばらしさを感じながら・・・・・
懐かしい想い出である。
今、歩くことが出来る・・・・・・しんがりでも・・・・・
頑張っちゃいます!!!!楽しく!!!!
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