風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第418段
桜祭り
2週間、やり抜いた・・・・・疲れている。
でも、その疲れは、やり抜いたあとの心地よい疲れ・・・
ブラジルでのただ1つの目的・・・・”伯と同じ空気を吸いながら、生きる”
そのための、最高といえるほどの2週間であった。
この2週間は、早朝4時、5時の起床、フェスタへの出店準備のための作業・・・・・・夕方までの連続。
50歳の時、1つの工場を任され、朝8時から夜8時までの勤務。
2交代制で、夜勤の労働者が欠勤の時は、夜勤で現場に入りもし、その次の日も連続し勤務・・・・連続36時間。
1年間の休みが15日・・・・・・・精神、肉体ともにボロボロになったことを思い出した。
でも、その時でも、毎日、やり抜いたという充実感も感じていた。
それと今回は、似ている。
さて、7月1日(土曜日)2日(日曜日)の桜祭り。
サン ロケの国士舘大学のとてつもなく広い敷地の中でのフェスタである。
サン ロケは、サン パウロの西に位置し、マチダ家からは100キロくらい離れている。
どうして、国士舘大学がここにあり、国士舘大学のなんであるかのうんちくは、知らない。
ゴルフ場があるが、そのゴルフ場でさえ、敷地のほんの1部分というほどの広大な敷地である。
さて、フェスタの出店は、日曜日に売るための餅や鯛焼などを作るため、伯と私と伯の妹のミユキの3人で、作業をし、フェスタの現地には、いつものようにテテとしんちゃんに店番を頼んだ。
もち米35キロ、白玉粉13キロ、餡子を作るのに小豆と白豆を20キロ使った。
白餅、あんこ餅、おはぎ、ちちだんご、あおやぎと、次々に作っていく。
そして、鯛焼も・・・・・・
あんこを作るには、2キロずつ小豆を使い、1時間余り、攪拌しながら作っていく。
焦げないように攪拌の手は、休むことはしない。
そして、出来たあんこを冷まし、使う食べ物用に、20グラムの玉と、15グラムの玉を作る。
根気がいる。
1日に1回ずつ、計画をたてて、作ってある。
日曜日の朝5j時にテテとしんちゃんとミユキとミユキの子(2年生)と食べ物で1台。
伯と私と食べ物で1台で2台の車に分乗し、出発。
現地に着くと、山の中、寒い、寒い・・・・・・・
テーブルに商品を陳列し、それを終えると、爺さんは、車の中に・・・・・
”お休みなさい!!!!!あとはよろしく!!!!!”
昼飯、トイレに起きただけ。
そして、午後4時過ぎ、完売してから、”おい、爺さん、起きなさい!!!!”・・・なんて調子。
テーブルの上などを皆で片づけ、岐路に着いた。
あれだけの食べ物を土曜日、日曜日に完売でき(漬物、佃煮は少し残ったが)兄弟が協力し、我が陣営が出店する一番大きなフェスタを100点満点で終了するという、価値ある作業で、出店した甲斐があった。
疲れていたが、満足なフェスタであった。
こんな状況で、写真は1枚もとることが出来なかった・・・・のです。
私が50歳の時の仕事の状況は、私のこのブログの229弾、230段に書きました。
是非とも、読んでください!!!!
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