風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第588段

改善 



  工場の中の改善をしていこうと思っている。

  どこまでできるとかでなく、”日々改善”・・・・”目で見る管理”をめざして・・・

    インターネットのサイトの記事です。

  せわしいですが、読んでみてください。


   三河地方の“農業”“工業”を支えている 明治用水を訪ねて

 (日本・愛知) 視察日:2002年6月6日 

 愛知県三河地方の“農業”“工業”を支えている明治用水を訪ねて参りました。

明治用水は、愛知県のほぼ中央を流れる矢作川から取水し、安城市を中心に、岡崎市、豊田市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市、西尾市の8市にまたがる用水路です。

  主として、矢作川右岸の水田約7,000ヘクタールを灌漑(かんがい:農地をうるおす)している他、工業地帯への水の供給も行っており、まさに三河地方の“農業用水”“工業用水”として三河地域の生活を支えています。

  現在、三河地方には、一番上の画像(私の住んでいる安城市における水田の風景)のような豊かな水田が広がっています

。この豊かな水田は、明治用水のおかげと言えます

。明治用水が引かれる前までは、この地域は江戸時代、安城ケ原と呼ばれる荒れた碧海台地でした。明治用水の成り立ちは、後ほど紹介しますが、

その前に“日本デンマーク”と呼ばれた農業を見ていきます。 

 大正時代末期から昭和時代初期にかけて、安城を中心とした旧碧海郡(現在の安城市、刈谷市、知立市、高浜市、碧南市にあたる)は、日本デンマーク(地元では“日本のデンマーク”となぜか“の”が入る形で呼ばれている)と呼ばれていました

。たしか、1970年代くらいまでは、社会科の教科書にもこの地を“日本デンマーク”として紹介されていましたので、記憶にある方もいらっしゃることと思います。

  なぜ“日本デンマーク”と呼ばれるようになったのか少し紐解きますと、当時、世界的な農業国であったデンマークの名前が冠に付いたように、安城を中心とした旧碧海郡は、農業経営が多角的で教育・指導機関が充実しており、組合組織が発達していたことなど、農業のあり方が先進的であったことが挙げられます。

さらに農業医療の改善を図るために病院(現在安城の中心的な医療機関である安城更生病院はその流れから誕生しています)、農民の読書に対する要望に応えて農業図書館を設立したり、地域の書店が出版活動に力を入れるなど、経済的な豊かさだけではなく、人間としての心豊かに生きる場として“農村”づくりに意欲的に取り組んでいたことなど農業における総合的・複合的な取り組みが“日本デンマーク”と言われた由縁と言えます。

  大正時代末期から昭和時代初期にかけて、“日本デンマーク”と呼ばれたこの地域に全国各地から視察団が訪れ、なかでも、視察に来た人が必ずといっていいほど訪れたのが板倉農場(旧碧海郡安城町)です。

板倉農場の経営の4大方針は、「大面積の経営」「肥料の自給と地力増進」「経営の複式化」「技術の研究」で、当時の全国の耕地面積の平均が1町歩(約4ヘクタール)程度であったのに対し、板倉農場は、4町歩で裏作を加えると6町歩の広大な面積をほぼ一カ所に集めて経営していました。また、米作一辺倒ではなく、梨、西瓜(すいか)、キャベツ、養豚、養鶏などを行い、多角的な経営を実践して労働の季節的な片寄りをなくしていました。

  板倉農場の経営方法は、農場主板倉源太郎氏が「私の農場は、付近一般の方々のやり方と比べて特別にこれという変わったことがある訳ではありません」と述べており、必ずしも独創的であったというわけではありませんが、農業の個々の要素を工夫とアイデアと勤勉さによってとことん突き詰め、当時の農業の一つの形を、極限の形で開花させていったと言えます。何か、同じ三河を地盤として今や世界的な企業になりつつあるトヨタ自動車に合い通じるものがあるような気もいたします

。トヨタの代名詞となっている必要な品物を必要なときに、必要な量だけつくることを意味する“ジャスト・イン・タイム”は、言われてみれば当たり前なことをトヨタ流の改善、勤勉さで粘り強く突き詰めて、システムとしてさらに組織風土(全社員のマインド)として作り上げていって、そして、なお現在に至っても終わることのない改善を繰り返しているところが強みと言えます。

  “日本デンマーク”は、当時、こうした農業の活動がある程度成果をあげた地域として、当時理想の国、模範とすべき国とされていたデンマークのイメージがこの地に投影された形です。

余談ですが、この“日本デンマーク”と呼ばれた面影は、今でも形やイメージとして残っており、新幹線の三河安城駅の駅舎はデンマーク調の建物となっています

。また、「花・みどり・暮らしの提案」をコンセプトにつくられた農業を全面に出したテーマパーク“デンパーク”という名称は、小学生が名付けた(公募により選ばれた)もので、デンマークと公園のパークを組み合わせたものです。

視察レポートのページでデンパークを紹介してありますので、併せてご覧いただけましたらと思います。デンパーク内には、デンマークの町並みやデンマークの民族衣装を着て写真撮影ができるコーナーもあります。


  読んでいただき、ありがとうございました。

  少々、長かったですが・・・・ 

   この中にでできた、”板倉農場の農場主の板倉源太郎”は、私のおふくろの父・・・私のお祖父さんです。 

 苦労し、荒れ地を開墾し、立派な農場を作ってしまいました。

  明治時代のお話です。

 私が生まれたときは、すでにお祖父さんは、いませんでした。

  でも、尊敬しています。  

 今、小さな工場の中で、生かされている私。


  ”日々改善”・・・・いつまでも続けようと思っている。 

   お祖父さんに、負けまいと・・・・  

0コメント

  • 1000 / 1000